思い出した。
ふとiPhoneのアプリを整理していたら
はてなブログのアプリをを見つけた。
開いたら、幾つか記事も書いていた。
わずか3つの投稿だけれど、最後に見たシーナのライブの事が書いてあって
読み返したら、あの時のシーナに会えてよかったと改めて思い、ジーンときてしまった。
そして、また書いてみるかと帰りのバスの中、ぽちぽちとやってみる。
突然だけれど
私はついこの間引越しをして、結婚をした。
幸せいーーっぱい! ではあるのかも知れないが、あまり「現実」には祝福されている気がしない。
結婚した途端に義理の伯母、実の祖母が天国に行ってしまったり、なんともはや。
結婚から一週間も経たない内に葬儀になり、それから一週間経ち、なんとか慌ただしさから日常を取り戻しつつ、そして新居にも慣れてきながらも、母を亡くした我が母のことを少し気にしている。
祖母のことは子供の頃、正直言って苦手だった。
朝食に祖父の獲って来た魚をどっさり漫画盛りにして食卓に出すところとか、
白玉だと言って出してきたのが、シロップではなく常温の砂糖水の白玉だった時は、子供ながらに無理して食べた記憶を思い出すし、祖母宅に預けられていた時、魚ばかりで飽き飽きしてたら、今日はハンバーグを食べさせると言ってくれて、楽しみにしていたら、出てきたのはマルシンハンバーグだった事も子供ながらにショックだった。
祖母の旦那である祖父は、日本海側のある小さな小さな村で漁師をしていた。
免許と言えば船しかなく、車も持たないのにスーパーもコンビニもない、週に1.2回隣町からスーパーのバスの移動販売車が来るだけのその村で、祖母は祖父とケンカばかりしていたけれど、今思えば、2人とも漁師言葉なだけで、ケンカではなかったのだ。
そしてその漁師言葉と同じテンションで私にも話しかけてくるのが怖かったり、口の悪さ故なんだと気づいた時には、祖父母は老いて、2人で寄り添うように、特養で暮らすことを選んでいた。
祖父母には孝行もできず、ロクでもない孫であったことが申し訳ない気持ちと、箸で拾った軽かった骨と、その骨を見てしょんぼりしていた爺ちゃんを思うととても悲しく、胸が張り裂けそうだった。
祖母の火葬の間に見た雲ひとつない眩しい青空は、きっと忘れないと思う。
見送るに相応しい、素晴らしく綺麗な青空だった。
通夜の前、看護婦をしている従姉妹が、祖母の化粧をしたのだが、かつてのシンディローパーのような派手派手メイクだったことも忘れない。
そう言えば化粧をした祖母を見た事がなかったけれど、綺麗だったよ。
*
結婚はこの歳になって初めてしたけれど
こんなに大変だとは思ってもみなかった。幸せでフワフワしたものだと思っていたのに、全然フワフワじゃない。
嫁に出たもんだから苗字が変わった。
婚姻届にはじまり、住民票の移動、銀行や免許証、クレジットカードに勤め先での手続き、携帯から通販から何から何まで全部手続きで軽くやさぐれているところだったりする。
早く終わらせよう…